朝ぼらけ

遠浅

温泉いきたいな〜


湯と文学のまちで育った。

学校帰りには幼馴染と近所の温泉に行って、その時の気分で死海の塩を買って肌に塗り込むような子どもだった。小学校の卒業式前にも行ったのを覚えている。札止め明けの、いちばんきれいなお湯の中で泡と踊りながら「中学もがんばろうね〜」などと話していた。

坊ちゃんは絶対読まされたし、町探検では温泉街を歩かされたし、長期休暇の宿題には絶対俳句を作らされる。そういう環境だった。

東京からここに戻ってきて、新しい仕事を始めて、もうすぐ1年になる。さっき職場の人に「もう長いこといる気がするけどね〜」と言われてヘヘヘと笑うなどした。昨日はややこしい作業をひとりでミスなく完結させられてよかった。

山陰地方で暮らし始めた幼なじみから「限界」と連絡が来て、意外とこの街がちゃんと流行りに対応していてミーハーな県民性だったと気付く。排他的ではないらしい。お友達に「エルメスがない土地がある」と教えてもらってヒョ〜と思ったものだけど、幸いなことにこの街にもそれは出店していて、たまにお客さんがいるのを見る。ここを出るまでは「何もないクソ田舎である」と評価していたけれど、出て戻ってきて分かるものもあるんだなあと超当たり前のことを感じたりしてしまう。

湯の質がいい。(そして湯処が多い)

新しいものがちゃんと上陸する。

大きくて整備された緑地の公園もある。(よくランナーがお堀の周りを走っている)

それだけで、結構充分なんだよなあと思ってしまう私は日和ってしまったのかもしれないな。


この感情と並行して「3ヶ月くらいどこかの土地で暮らしたーい」という気持ちもすくすく育っているから混乱する。根無草になりたいわけではない。

どこかに行きたいのかなあ。

安定してくると壊そうとするいつもの癖なのかもしれない。

崩れることでバランスを取って、崩すことまで考えて予定を立てる。やだ〜!!!そういうのも、もうやめたい。崩さずにちゃんとやる方法だってあるはずなのだ。前に進むぞ。


この週末は温泉に行きたいなと思っている。

湯上がりに飲むのはボルヴィック。昔は牛乳が飲めなかったから、瓶のそれを飲む友達の横で青くてやわらかいペットボトルからこれまたやわらかい水を飲んでいた。

人のいない一番風呂を狙ってるけどどうかなあ。

ほこほこの顔で、湯上がりで〜すの顔をして歩いて帰るのをやりたいな〜。