去年から花粉症

お天気がいいねえ。

朝晩とアレグラ飲んでやっていますよ。


ちょうど1年前くらいの日記を読んだら今と同じようなことで悩んで怒っていて、今と同じように仕事しんどってなっていてウケた。ただ、前はつらくて泣きそうだったのが怒りで暴れそうっていう風に感情表出の方法が変わってるからいいことではあるのかな。

なぜ片付けられないのか、どうして何度も同じことを言わなければならないのか、どう生きたらそんな横柄になれるのか、その辺りの「?」と「怒(ど)」を自分の精神状態と繋げなくてよくなった。「これはそういう人間である」と考えたら楽だ。放置とも言う。これが続いて回り回った先で私もショックを受けたから、やる相手は選ばないといけないんだけど。


一人暮らしをしていた頃の「なんだこの毎日」という感覚は孤独から来ていたように思う。仕事に行って、働いて、帰ってきて、仕事のために風呂に入りストレッチ等をやり早く寝るという感じだった。その内に食事以外のことが殆どできなくなってくるという変なサイクルも作られた。Twitterにいる楽しいお姉さんたちみたいな生活をしたいのに、娯楽にも金がいる何をするにも金がいるとなってガタガタ動けなくなっていったように思う。阿保だった。かなり前の日記にも「もっと誰かに話を聞いてもらうとか、仕事以外の話をするとか、そういう関係を続ければ良かった。友達はそれを恋人に割り振っていてうまいと思う。」みたいなことが書いてあってそれだなあとなる。実家から出て不安なのはそこである。情けない話、27歳にもなって「孤独になりたくない」などと思っている。あの時の失敗体験(のようなもの)が強烈にこびりついている。動物の力は本当に偉大で、こっちに戻ってきてドッグセラピー的なものの効果で元気になったのも事実。この首輪を買うために働くか〜となることだってある。おまんま稼ぐからねと言いながら家を出る。

妹は今週末に同棲のため家を出て、多分1年以内に籍を入れる。そういう流れでこないだ彼氏が挨拶に来ていた。両親と私になれば、今の感覚が変わって「家は最低」とかになるんだろうか。自室に避難することを覚えたのもあるからうーーん。


いわゆる発言小町とか、相談サイトとか、そういうものに寄せられている「辞めたいんですけど○○だと現実的じゃないですか?」とか「この理由で辞めたいと思うのは世間的に甘いでしょうか?」とか「年齢的にもう諦めるべきでしょうか?」というのもよく読んだ。最終的に私が思うことはいつも同じで、「んなこたぁない。お前がどうしたいかが全てである。不安もわかるが。」となってしまう。自分はまんま同じこと返されたら凹むのにね、贅沢な話だよ...。あともう明らか辞めたいじゃん!あと自分の一歩なだけじゃん!ともなる。そして自分にこれがそのまんま刺さる、アイタタタ。


何かしら文章に関わることをやってみたいと思う。誰かと話して数字を上げてくみたいなことも挑戦したいと思う。それはこの土地では出来ない。ならば出るのが最適解である。しかし出るには不安がある。なぜなら一人暮らしをまたちゃんとやる自信がないからである。そして詰む。


いや詰む?詰むんかなこれ、やりようじゃない?一人暮らし怖いっていうけど新卒の時の知り合い全くいない東京よりはマシじゃない?ん???

打ってると頭が整理される感じがするな、漠然と不安にのまれそうだったけどそんな深刻に悩むことでもない??関西ならすぐ帰れるしな?お??

なんか頭が上向きになってきたからよかった。

夜はあかん朝考えようというのはアンミカ教祖の有名な言葉だけど、私はそれに追加してお腹空いてる時に考えたらあかん食べてから考えよう である。わかりやすく「死ぬしか...」となってくる、満腹も苦手だけど空腹はもっとダメ、泣きたくなる。

職歴はこれくらいあった方がいいから〜とかボーナスは回収したいから〜とかあの口座の貯金に一切手を付けないとしたらこっちの口座で回す必要があって〜とかポヤポヤ考えてはメソメソなりかけたいだけど、ちゃんと考えられてるじゃあないかッッッ。


焦らない、ゆっくりやる、最低限現実的に考えるけど10滴くらいノリを混ぜる、この配分がむずかしい。