朝ぼらけ

遠浅

ピラティスに行ってきた

もう5回目?くらい?

先生と話しながら骨を動かして体を捻るのは楽しい。意識できてないだけで無数の筋肉やら腱やらがあって、骨だって動かせるんだな〜と思いながらみっちり1時間半やってきた。脚のラインが変わってきたように思う。

身体を整える作業が好きである。痩身のためによくそんなに出来るねと言われたことがあるけれど、10代からずっとダイエッターみたいなところがあるから特に何も感じなかった。むしろ、食べ物のバランスを考えないとか空きっ腹にお米を入れられるとか脚のむくみを放置したまま眠れるとかの方がすごいなと思ってしまう。もう私はあの何も考えてなかった頃には戻れないなあとも。意識の果てで習慣になったから苦じゃないというのもあるけれど、こまごまとした小さい「やるべきこと」をやってこの体型体質なんだからため息が出る。ピラティスは痩身というより立ち仕事で腰が痛くなりやすくなったのと巻き肩が酷くて頭痛が頻繁に起こるようになったのの改善目的なので、ついでに骨から整って筋肉,脂肪のシルエットが変わってきたからラッキーだった。

今日も股関節周りの調整から始まった。内旋しがちなので外に捻りつつ深く息を吸う。吸って〜(痛い)吐いて〜(伸びる)、この繰り返し。休憩がてらお水を飲んで、「出身って○○高ですか?」と言われて驚いた。いやいや私はド底辺の高校ですよと返したら驚いていて、話してる感じとか興味の方向がそんな風には見えないと言われてまたイヤイヤハハハとなったりした。その人はそのド進学校からちゃんと慶應に進んでもろもろをこなし、帰国してピラティス関係の資格をいくつか取り、この春の更新試験でもきちんとパスをした人である。たまにこういうことがあると「ああ私はちゃんと変わったんだなあ」としみじみ思う。足が速そうとか、体育祭でリレー走ったでしょとか、クラスで友達に囲まれてたでしょとか言われるたびに。(50メートルは平均速度の8秒台だったし体育祭は1回も出てないしクラスではひとりふよふよ浮いていた、そういう学生だった。) 

10代の呪いというのが27になっても拭いきれないのが正直なところで、今朝みたく気が落ちているとここで落ちこぼれ&地味でダサい小デブ だったことがダイレクトに脳にきてシュルシュルとなってしまう。母親に相談したら後10年したらどうでも良くなると思うとのことだったけど遠すぎる。

だから出たいのかなあ。

最低限の仕事をして最低限のお金を手にして、余計な生活費がかからない分投資やら貯金やらこういうピラティスに回せていて、それはすごく精神的にいいことだけどいかんせんそこらの道路やら街やら山やらに嫌な記憶が張り付いている。今朝通ってきたあの信号だって小学2年の時6年の男の子に帽子を取られてギャン泣きした場所だった。この今の生活環境だけ抽出して本州のいい感じなところへコピペできないかしらんと思いながら棒を持って右脚を伸ばしていたら「集中〜!」と言われてしまって、肋骨は抜けてるわ腹も落ちてるわでいかんいかんと思考を停止、集中してやって終わって帰ってひと段落して今に至る。

身体が整うと気が整う。余計なことを思いださなくて済む。記憶の棚卸しを定期的にやれればいいのに。これはいらん、これはいる。ゴミ箱フォルダにうつしたら完全削除。それこそ容量(メモリ)の無駄遣い...♣︎みたいなことが多すぎるんだよな多分。

あと昨日眼科に行って乱視の進みようと視力の低下加減にギョッとしたりもした。今まで行ってたところがそれこそ小学生から通ってたところで、院長に「ちゃんと目を清潔に保っててえらいね」と頭を撫でられたところでドン引きして変えたのだった。私はもう12歳の○○ちゃんではないのである。キモいよ〜やだよ〜と思って変えた眼科でコンタクトの度数-3ずつ、片方は乱視用レンズ、眼圧高め の結果を叩き出してoh...となりつつなんでも更新は必要なんだな〜となるなど。14の頃からワンデーの使い捨てだからレンズを作り替える必要とかはなくスムーズに検査診察完了、帰り道用のコンタクトを装着、そしたらあまりに世界がくっきりはっきり見えすぎてお会計の時に受付のお姉さんの顔をまともに見られなかった。アイシャドウされてたんですね...。

全部昔とは違うのだ。過去と今は地続きだから〜とも言うけれど、それが5年10年となったらもうほとんど別人である。私は小中の同級生と今会ったらマジで誰か分かられない。そんなことが二、三度あった。だから怖がらなくていい。