同情のカツアゲをやらないぞという気持ち
「春節が〜...」とニュースが伝えていて、そういえばと思ってカレンダーを見たら最終出勤日からちょうど1か月が経っていた!
最近の私をまとめると、
・諸手続きで東京へ行った
・ハローワークで必要な書類が届いた
・4kg増えて2kg戻した
・相対評価でメソメソした
・神戸ひとり散歩みたいなサイトをよく覗くようになった
・雪まつりの雪が足りないことに胸を痛めた
・自分にお金をかけようかなという気になってきた
・久しぶりに被写体をやったら楽しかった
こんな感じだ!
友達が昔くれたメッセージの中に、「なるの幸せはなるの基準で判断すべき。相対評価に意味はないよ。」とあり、そうよなと1人頷いたり。会社から届いた離職に関する書類の日付が「2019年1月17日」で勘弁してくれよと思ったり。(本当にそういうとこだぞ元弊社) 慌てて転職先を決めようとして焦って大した考えも無いまま動いて痛い目を見たり。
あれやこれやと何とか生きている。
日々が何であんなに辛くて苦しくて出口が無かった(無いように感じていた)のか分からないけど、最近は「考え方が内向きだったし見えてないものが多かったし何より合わなかったんだろうなぁ」と思えるようになってきた。少しだけ。
辛いつらいと叫んで「可哀想」という目を周りから受けることは、安心になる。私かわいそうだから攻撃しないで。こんなにつらいの。分かって。しんどいの。
うるせ〜〜〜!!!!
嫌ならやめろ!今すぐ場所を変えろ!
同情を買おうとするな!!!!
下からヌルッと入って可哀想な顔して関節キメようとするな!!
今ならあの時のわたしにそう言える、まあ今後どうなるか分かんないんだけど!!!
回復してきた今だから言えるんだろうなと思う。
どうしたってどうにも出来ない「うつ」というもの、私は強い言葉で攻撃しようとは思わなくて。肩組んで仲良くするつもりもないと考えてるし。でも、鬱に「なんで?」は聞こえないと思っているから、「辛い。はい。分かった。」で、何か膝抱えて八の字眉になった自分の肩をポンと叩いて、周りの人と話して(家族とか友達とか恋人ね、攻撃してこない人) 弱い自分に酔わずにスパッと切り捨てられていたらあそこまでメチャメチャにらならなかったかもしれない。
学び!!!
ふう。
羽田行きの飛行機を片道分だけ買お。
帰りは、その時の気分で関西経由にしてもいいかなと考えている。見たいものがあるので。