朝ぼらけ

遠浅


嫌い嫌い嫌い嫌い全部嫌い、〜ってもう誰もやってない、うるさい。○○はもう古い、うるさい。何かを下げる時すら誰かの語り口の真似をするその仕草が本当に気味悪い。お前はお前が本当に欲しいものを分かってない考えていない全部インスタント親指と目の上下運動で得たそれを欲しいと思わされてることにも気付かずカードを切る、アホくさい。なんかスナイデルの件で燃えてたやつもうるさい。スナイデルを馬鹿にする層とスナイデルを買ってとおねだりするらしい層でまた分断されてて対象がズレてきている。あと男と女の対立ももういい加減しつこい。そこでぶつけなくていい。うるさい。もういらん。人間としてアホかアホじゃないかに過ぎないんじゃないのか。自分が一番夢を見ていることは自覚している。みんなうまくやっている、知らん。めっちゃ前にラルフローレンがラブアンドピースみたいなのを背中に刺繍したスウェット出しててこりゃないわと私は思ったんだけどしばらくしてそれがツイッターで大ハネしていた。良すぎるらしい。何が?全然分かんない。私は分かんないままなんだろうなと思う。それでいいんだけど。平成の殆どがしんどいままで息がうまくできずにいたし平成の殆どの自分が嫌いだ、私は今でも周りが正しい私がおかしいと思う節があるけれど令和になっていやこれおかしいのは周りなんじゃないかと考え始めた。体調を押して働くのが普通とか、あの子が持ってるものが欲しいとか、自分の好み以前に流行りがくるとか、トトロエベが可愛いとか、私全然分かんない。それを言うと変な人になる。私はお前らをジャッジしようとしてないのにどうして一方的な好奇の目を向けてくるんだ。うるさい。佐久間さんのオールナイトニッポンで森田が「ガーシーのアテンド」ってフレーズ出して爆笑をとっていて確かにその仕組みは分かるけど吐き気がしてキモくなってそれを共通認識として出してきてる前提があるんだと思って聴くのやめた、いらん。ああいうの全部いらん。オードリーANNは延々内輪で盛り上がってるから安心する、ずっとそれでいいと思う、怖くない。全部全部思い出しては吐き気がする。高熱にやられながら嫌な記憶が片っ端から蘇ってきて最悪だった。全てが嫌いなのは全てに夢を見ていたからだと思う。ああああもう全てがうるさい。骨格知らん。肌の色知らん。モテ知らん。自己肯定感知らん。QOL知らん。YouTuber知らん。TikTok知らん。全部いらん。時間がそれぞれの中にしか無かった頃に私も行きたい。組み立ててしまいたい。熱にうなされながら何かを悟りかけてまた夢の中におちていった。





整える

新玉に鰹節ふったやつ、採ってきたばっかのトマト、もらいものの春菊と水菜をただ茹でたやつ、おいしい豚がメインの水炊き、きちんとしたもので胃を満たすと指先までぴかぴかになった気がする。内側から。

食べるものにこだわりがないというのはカップラーメンとかコンビニ弁当とかを常に食べてokとかのそれではなくて、この食材しか食べられない!などの縛りがないという意味の「こだわり」だ。野菜が高くて困るよねと昨日職場で話したばかりなのに、祖父が山を散歩中にひとやま100円の新玉ねぎをほくほくした顔で買ってきた。良い方の祖父は足腰も強く80すぎの今でも風呂後の腹筋をかかさず朝晩50分ほど散歩をする。図書館で何冊も借りてきて読みながら、趣味の掃除洗濯をして老後を楽しんでいる。こういうのが良いよなあと話すたびに思う。


仕事が嫌というのを通り越して職場に「居る」ことが嫌で嫌でたまらなくなり、久しぶりにそんな理由で半休をした。月曜あたりからなんかマズいなと思っていたけど忙しくて言い出せず、火曜水曜とバタバタで今日やっぱり電池が切れた。悲しくて腹が立って泣きそうになるやつ。参った〜27ぞ〜?と思いながら捌いてたけど患者に怒鳴られて糸が切れ半休決意、さくっと申告してさっさと帰った。

怒鳴れば若い女が言うことをきくとおもわないでほしい。怒鳴り返しそうになって、いや一応ここの格好してるからなあと思って最後の理性でなんとか耐えた。スーパーですれ違う老人、えらそうなババア、走り回る子どもにもイラッとくる時がある。無差別というのはこういうことかと身をもって感じている。

とりあえず半休は取れたからやりたいことをして整えてこうと思ってまずジムに行った。ら、バレエレッスンの時間と重なってまたババアが沸いていた。あれらを気にせず割れた腹を放り出してストレッチできるようになるのが目標だな、まずまた腹を割らねばならない。有酸素多めに入れてこうと決める。尻が筋肉痛だから肩をぴゃぴゃっとやって、インクラインサイドレイズのやり方をまた調べようと思ってケーブルと遊んだ。背中とかはやっぱりケーブルの方がつかみやすい。

ちゃんとトレッドミルまで終わらせて帰宅、水回りの掃除に取り掛かる。気になってたお風呂場の細い汚れと天井のちいさいカビを取って、パイプマンをやって、マグもハイターにつけてその間に珈琲をいれた。

風がよく入るリビングにいると気が凪いでいることに気がつく。そうそうこういうのが1番整うのよ、さっき食べたチョコレート(ダークのやつ)もいい感じだった。洗濯物もよく乾いた。両親は妹を迎えに関西に行っているからいない、夜どうしようかなあと思っていたら帰りを前倒しにしたらしくて今日帰るとのこと。祖母宅でまとめて夕飯になったのでほいほいと移動、野菜たくさんでおいしいお茶も淹れて、あ〜花丸通り越して大花丸じゃ〜みたいな気持ち。カツは明日のお弁当にひと切れもらって夜は食べなかった。揚げ物大好きだけど夜食べると翌朝まで引きずる。お米とかは大丈夫なんだけど。何を食べたらどういう調子になるのか、ちゃんと身体の具合を見ながらデータを取るのが1番いい。

例の24歳の件で、あれを奨学金の返済にまわしましたとか親の借金返済につかいましたとか一部を兄弟の学費に〜とかって言ってたら世間はどう評価したんだろうなと思ってたらTwitterもそんな感じになっててそうよなあと眺めていた。11兆円わかりませんじゃあないんだよ。


角田光代のタラントを読んでるんだけど、主人公が香川出身の設定で、他県(主に都市部)のひとに出身を説明するとき「四国から〜」って言うところとか親族間の距離が近く橙っぽい雰囲気のあたたかさと雑さがあるとか要所要所の方言にいちいちわかる〜〜となっている。今おもしろくなってきたところ。主人公のあの周りがやってるからやらないとな感じとか、ものの背景を知ろうとしないところとか、うわ〜ヤダヤダ〜と思う場面も多いんだけどお爺さん視点が面白くてこれどうやって交差させるのよと夢中でページを捲っている。国分寺から永福町に引っ越したくだりでウンとは思ったけど。永福町はオードリーのラジオで聴いたことしかない。ただ、昔は駅名を読んでもボンヤリとしか分からなかったイメージが今はわかる。色とテンションを知っているから、読むのがもっと楽しくなった。

明日は夕方まで働いて、ワクチン打って、眼科に行って、ポカリを飲みながら副反応に備えるだけだ。だいぶ整っていい感じ。ばっちこ〜い。





ピラティスに行ってきた

もう5回目?くらい?

先生と話しながら骨を動かして体を捻るのは楽しい。意識できてないだけで無数の筋肉やら腱やらがあって、骨だって動かせるんだな〜と思いながらみっちり1時間半やってきた。脚のラインが変わってきたように思う。

身体を整える作業が好きである。痩身のためによくそんなに出来るねと言われたことがあるけれど、10代からずっとダイエッターみたいなところがあるから特に何も感じなかった。むしろ、食べ物のバランスを考えないとか空きっ腹にお米を入れられるとか脚のむくみを放置したまま眠れるとかの方がすごいなと思ってしまう。もう私はあの何も考えてなかった頃には戻れないなあとも。意識の果てで習慣になったから苦じゃないというのもあるけれど、こまごまとした小さい「やるべきこと」をやってこの体型体質なんだからため息が出る。ピラティスは痩身というより立ち仕事で腰が痛くなりやすくなったのと巻き肩が酷くて頭痛が頻繁に起こるようになったのの改善目的なので、ついでに骨から整って筋肉,脂肪のシルエットが変わってきたからラッキーだった。

今日も股関節周りの調整から始まった。内旋しがちなので外に捻りつつ深く息を吸う。吸って〜(痛い)吐いて〜(伸びる)、この繰り返し。休憩がてらお水を飲んで、「出身って○○高ですか?」と言われて驚いた。いやいや私はド底辺の高校ですよと返したら驚いていて、話してる感じとか興味の方向がそんな風には見えないと言われてまたイヤイヤハハハとなったりした。その人はそのド進学校からちゃんと慶應に進んでもろもろをこなし、帰国してピラティス関係の資格をいくつか取り、この春の更新試験でもきちんとパスをした人である。たまにこういうことがあると「ああ私はちゃんと変わったんだなあ」としみじみ思う。足が速そうとか、体育祭でリレー走ったでしょとか、クラスで友達に囲まれてたでしょとか言われるたびに。(50メートルは平均速度の8秒台だったし体育祭は1回も出てないしクラスではひとりふよふよ浮いていた、そういう学生だった。) 

10代の呪いというのが27になっても拭いきれないのが正直なところで、今朝みたく気が落ちているとここで落ちこぼれ&地味でダサい小デブ だったことがダイレクトに脳にきてシュルシュルとなってしまう。母親に相談したら後10年したらどうでも良くなると思うとのことだったけど遠すぎる。

だから出たいのかなあ。

最低限の仕事をして最低限のお金を手にして、余計な生活費がかからない分投資やら貯金やらこういうピラティスに回せていて、それはすごく精神的にいいことだけどいかんせんそこらの道路やら街やら山やらに嫌な記憶が張り付いている。今朝通ってきたあの信号だって小学2年の時6年の男の子に帽子を取られてギャン泣きした場所だった。この今の生活環境だけ抽出して本州のいい感じなところへコピペできないかしらんと思いながら棒を持って右脚を伸ばしていたら「集中〜!」と言われてしまって、肋骨は抜けてるわ腹も落ちてるわでいかんいかんと思考を停止、集中してやって終わって帰ってひと段落して今に至る。

身体が整うと気が整う。余計なことを思いださなくて済む。記憶の棚卸しを定期的にやれればいいのに。これはいらん、これはいる。ゴミ箱フォルダにうつしたら完全削除。それこそ容量(メモリ)の無駄遣い...♣︎みたいなことが多すぎるんだよな多分。

あと昨日眼科に行って乱視の進みようと視力の低下加減にギョッとしたりもした。今まで行ってたところがそれこそ小学生から通ってたところで、院長に「ちゃんと目を清潔に保っててえらいね」と頭を撫でられたところでドン引きして変えたのだった。私はもう12歳の○○ちゃんではないのである。キモいよ〜やだよ〜と思って変えた眼科でコンタクトの度数-3ずつ、片方は乱視用レンズ、眼圧高め の結果を叩き出してoh...となりつつなんでも更新は必要なんだな〜となるなど。14の頃からワンデーの使い捨てだからレンズを作り替える必要とかはなくスムーズに検査診察完了、帰り道用のコンタクトを装着、そしたらあまりに世界がくっきりはっきり見えすぎてお会計の時に受付のお姉さんの顔をまともに見られなかった。アイシャドウされてたんですね...。

全部昔とは違うのだ。過去と今は地続きだから〜とも言うけれど、それが5年10年となったらもうほとんど別人である。私は小中の同級生と今会ったらマジで誰か分かられない。そんなことが二、三度あった。だから怖がらなくていい。









去年から花粉症

お天気がいいねえ。

朝晩とアレグラ飲んでやっていますよ。


ちょうど1年前くらいの日記を読んだら今と同じようなことで悩んで怒っていて、今と同じように仕事しんどってなっていてウケた。ただ、前はつらくて泣きそうだったのが怒りで暴れそうっていう風に感情表出の方法が変わってるからいいことではあるのかな。

なぜ片付けられないのか、どうして何度も同じことを言わなければならないのか、どう生きたらそんな横柄になれるのか、その辺りの「?」と「怒(ど)」を自分の精神状態と繋げなくてよくなった。「これはそういう人間である」と考えたら楽だ。放置とも言う。これが続いて回り回った先で私もショックを受けたから、やる相手は選ばないといけないんだけど。


一人暮らしをしていた頃の「なんだこの毎日」という感覚は孤独から来ていたように思う。仕事に行って、働いて、帰ってきて、仕事のために風呂に入りストレッチ等をやり早く寝るという感じだった。その内に食事以外のことが殆どできなくなってくるという変なサイクルも作られた。Twitterにいる楽しいお姉さんたちみたいな生活をしたいのに、娯楽にも金がいる何をするにも金がいるとなってガタガタ動けなくなっていったように思う。阿保だった。かなり前の日記にも「もっと誰かに話を聞いてもらうとか、仕事以外の話をするとか、そういう関係を続ければ良かった。友達はそれを恋人に割り振っていてうまいと思う。」みたいなことが書いてあってそれだなあとなる。実家から出て不安なのはそこである。情けない話、27歳にもなって「孤独になりたくない」などと思っている。あの時の失敗体験(のようなもの)が強烈にこびりついている。動物の力は本当に偉大で、こっちに戻ってきてドッグセラピー的なものの効果で元気になったのも事実。この首輪を買うために働くか〜となることだってある。おまんま稼ぐからねと言いながら家を出る。

妹は今週末に同棲のため家を出て、多分1年以内に籍を入れる。そういう流れでこないだ彼氏が挨拶に来ていた。両親と私になれば、今の感覚が変わって「家は最低」とかになるんだろうか。自室に避難することを覚えたのもあるからうーーん。


いわゆる発言小町とか、相談サイトとか、そういうものに寄せられている「辞めたいんですけど○○だと現実的じゃないですか?」とか「この理由で辞めたいと思うのは世間的に甘いでしょうか?」とか「年齢的にもう諦めるべきでしょうか?」というのもよく読んだ。最終的に私が思うことはいつも同じで、「んなこたぁない。お前がどうしたいかが全てである。不安もわかるが。」となってしまう。自分はまんま同じこと返されたら凹むのにね、贅沢な話だよ...。あともう明らか辞めたいじゃん!あと自分の一歩なだけじゃん!ともなる。そして自分にこれがそのまんま刺さる、アイタタタ。


何かしら文章に関わることをやってみたいと思う。誰かと話して数字を上げてくみたいなことも挑戦したいと思う。それはこの土地では出来ない。ならば出るのが最適解である。しかし出るには不安がある。なぜなら一人暮らしをまたちゃんとやる自信がないからである。そして詰む。


いや詰む?詰むんかなこれ、やりようじゃない?一人暮らし怖いっていうけど新卒の時の知り合い全くいない東京よりはマシじゃない?ん???

打ってると頭が整理される感じがするな、漠然と不安にのまれそうだったけどそんな深刻に悩むことでもない??関西ならすぐ帰れるしな?お??

なんか頭が上向きになってきたからよかった。

夜はあかん朝考えようというのはアンミカ教祖の有名な言葉だけど、私はそれに追加してお腹空いてる時に考えたらあかん食べてから考えよう である。わかりやすく「死ぬしか...」となってくる、満腹も苦手だけど空腹はもっとダメ、泣きたくなる。

職歴はこれくらいあった方がいいから〜とかボーナスは回収したいから〜とかあの口座の貯金に一切手を付けないとしたらこっちの口座で回す必要があって〜とかポヤポヤ考えてはメソメソなりかけたいだけど、ちゃんと考えられてるじゃあないかッッッ。


焦らない、ゆっくりやる、最低限現実的に考えるけど10滴くらいノリを混ぜる、この配分がむずかしい。











今日は休み

再来週の日曜分の振替らしい。

その週の平日に欲しかったと言ったら、先輩がもう休みをとっていてその人に応援を出すからあなたの分は無理と言われた。

さっき連絡が来て、金曜は1315までになった。

日曜出勤分の労働時間オーバー分をそこで相殺するらしい。その週の平日に帰らせて欲しいと言ったら、予約数からしてかなり混むから無理と言われた。


あまりにもつらかったので、信用できる大人(※私は既に『大人』なんだけど感覚の問題ネ)にLINEを入れたら今会議中だから待ってと言われて、しばらくしてからリモートで自分の分の発表が終わったからと通話をくれた。声を聞いて泣いてしまって爆笑された。「労働階級じゃん」と言われてウケる。その通りである。20代のこの何やっても許される/ギリ若さでなんとか走れる時期に、なぜ私は福祉を受けていたり全てを諦めている人間に怒鳴られて過ごさねばならないのだ??そもそも私はそのランクの、労働力として使わられることしか出来ない人間だったのでは??ならば今の環境は妥当か??いやそれにしてもですね??ということを矢継ぎ早に話して、私が少し落ち着いたところで間髪入れずに「寝た方がええで」と言ってきた。グゥ。トランス状態だったのは自覚しているけれども。

TOEICの申し込みをしようとして知ったこと、ここは毎月行われていなかったし下手すると定員以下で見送りになる回もあるらしい。とんでもない。これもまた爆笑された。「すごい土地に住んでんな」。とりあえず3月に開催されることを祈りつつ申し込みした。あとはコツコツ積んでくだけだ。

ここにいたらだめになる。楽だなあと思っていたし今もたまに思うけど、文化として得られるものが少なすぎる。人が少ないのはいい。歩きやすい。でも景気のいい服を着ているとかなり視線が飛んできて億劫。マトリックスキングスマンも1日に1本しかしていなかった。呪術廻戦に殆どのスクリーンが使われていた。フィッシュネスバーガーはいつの間にかいなくなっていた。開かれた可能性とか、平等に与えられるナンチャラなんてのはあまりにも真っ赤な嘘である。いちど東京に住んでしまったから分かる。都心信仰!みたいなのとは違うランクの話だ。私はいまだに銀座のあのパン屋で働く白エプロンをしてやや髭を生やした若いにいちゃんをうらやましいと思う。そこに生まれ落ちたことが、実家がそこにあってその中で「良さそうだな」とかなんとか思ってシティベーカリーで週4バイトか何かを選べることが。本当は茨城とかの出身なのかもしれないけれど。


電話口で「今月あと2回夜勤があるけどまあ私看護職じゃないし、看護職の人からしたら余裕なんだろうなって思うし、でも私の体力的に全然余裕じゃないしなんだこの仕事って思う」とぼやいたら「昼だけの仕事に就けば?」と言われて「そんなんコールセンターしかないよ」と返してまた爆笑された。ワクチン関係で臨時に設置されたコールセンター、想像するだけで頭が痛い。これも選べるだけ贅沢とか言われるんだろうか。いやいやこれは権利です。


観たかったラストインソーホーは小さなシネマでだけ最近かかっていて、今日行こうとしたら休館日でこれもまたグゥ。

そんなことを考えながら問題を解いていたら窓に叩きつけるような雨水が走っていて驚いた。あとものすごく肩が凝っていてそれにも驚いた。スマホ首とかスマホの見過ぎとか、勉強で下向いてるのも同じやろがいと思う。

半年前は慣れるのに必死だった。

新しい株でどんどん人がいなくなって、今いる人間が千切れるくらい走っている。私だけが辛いんじゃないかもしれないし他にも辛い人がいるのかもしれないけどその事実はその事実だし私の感情は私の感情である。混ぜこぜにするなと言いたい。

オミクロン蔓延の間は仮死状態の覚悟を持とうと思った。やれることだけ積んでいく。なんか太ったのでそれもどうにかしたい。いい加減この辺から解放されたいんだよな、ずっと何かに飢えてるよな。







超楽しかった翌日のリバウンド凹みが来ている

同じ映画を2回観る体力がなくなった。

1回観たものを繰り返して観るのは時間が勿体無いなと思った自分が嫌になった。

益田ミリの新聞エッセイを職場の人が切り抜いて持ってきてくれて読んでみたら、「オタクって羨ましい」「熱中できる、好きなものがあるのは(異様な阪神ファンだった自身の父を含めて)かっこいいと思う」というようなことが書いてあってちょっとよく分からなかった。嘘、彼女の書きたいことは分かるんだけど、その「好きなものがあるっていいな」という感覚を理解できなかった。これはオタクの市民権の話と似たようで違う、個体としての感情の差の話。私はオードリーの若林さんが好きだし一生漫才とラジオをやっててほしいしグッズのパーカーだって買うけれど、潜在能力テストを観たりスクール革命を観たり日向坂の番組を観たりはしない。あちこちと、ラジオと、エッセイと、ノートと、あと対談ぐらいだ。この押さえるポイントが人によって変わるのはあると思う。ジャニオタの先輩はLINEスタンプ購入はもちろん、1時間のバラエティの1コーナーに出演するのだって録画するし1冊のうち2ページしか載ってないような雑誌だって買っていたし、とにかく出演するものを全部押さえていた。この先輩みたいな行為のことを「オタクがする一般的なやつ」と思ってるから「好き」に対するハードルが上がってるんじゃないか。違うのかな。

ここまでしないと「好き」と言ってはいけないみたいなものを感じる。そんなことないのに。自分の感覚の手綱がどこかに行ってしまってることに気付いてない、というパターンも考えられるけどだいぶ怖い。


記事を読んだ時、今は産休に入っている職場の人に「あなたは好きなものがあって羨ましい。わたしにはそんなにハマれるものはない」と言われたことを思い出した。私の周りには「これが好きでさあ」と話すような人しかいなかったから。強いて言うなら大学の時の知人がその好きなものが分からないような感じだったかなあと思う。全て疎遠になったから今はもう分からないけれど、彼女らが熱狂的にこれが好き!と話していた記憶がない。県下の進学校に進んで、県下の大学に入って、そのまま地銀にパン職で入って早めに結婚するのが安全だし正解だと信じていたひとたち。青文字系を進行していたひとたち。何を話していたのかも思い出せないもう4年も前の話。そういうことなんだろう。


好きなものが無いのではなくて、感情の振れ幅が5ミリずつくらいしかないのだ。もしくは、好きと主張するためのチェックリストが異様に多い。自分で思えばいいだけなのに。誰に向かって言ってるんだろう。


この前都内の友達と話していて、地震に新しい株に大変そうだけどたまにザマミロと思ってしまうとボヤいたらいや東京の人間はそんなの気にしてないし地震に関しては「え〜?」という感じでオミクロンに関しても「なに、新しい株〜?」というノリで何一つ動揺もショックも受けてないし大変じゃないよと言われて「ああ」となった。そんなもんなんだろうな。


1か月くらい前、部屋の整理と周りの動きを見ていて悔しいと思った。

自分で手に入れたはずの、扶養を抜けてもちゃんと歩いていける道が今はまた畦道になっていることが許せなかった。石畳の綺麗な道だったはずなのに。取り戻したいと思う。前は悔しいと思うことも恥ずかしかったし取り戻すなんて考えるのもみっともないと思っていた。でももうそんなのは言ってられない。手綱を離したらどうなるか分かってきてしまった。怖いと思う。

畦道を抜け出したい。その為に何が必要で、どういう風に動いていけばいいのか考えている。







お昼は白身魚と小松菜とおにぎり(胃腸に優しく)

ここ最近体調が良くない。

胃腸をやられてポカリとおうどんの暮らしになったかと思えば微熱が続いて身体がダル重になったりしている。

免疫力向上を狙ってココナッツオイルを適度にサラダにのっけて食べているのに何故。解せない。

そんな感じでうとうと昼寝をした日曜日、1社目の夢を見た。私はまだそこに在籍していて、帰省で実家にいるという設定で。「あ〜明日東京に帰らなきゃいけないな〜だるいな〜熱出たって言って休も〜」とめちゃくちゃナチュラルに考えた自分をしっかり覚えていて、起きてその事実にかなり引いてしまった。癖になっとるがな!!耐えろや!!!それは辛さでなく甘え!!!こわ!!!!

今の仕事は「今日いけません、グスン」をやると厳しいことになるので良くも悪くもその半強制的な出勤に割と助けられて/鍛えられてきたんだな...と思うなど。前はよくあった、晩に「あーだめだ、明日休も」と決めて翌朝連絡をするムーブをもう随分やってない。そんなことしないのが普通(この普通っていうのも嫌いだけど、少なくとも私の周りで私みたいなムーブをしていた小中高大の友人はいなかった)で、当たり前のことなんだけど。苦しいとか辛いという気持ちは本当だったけど、それにかまけてめちゃくちゃ怠惰になっていたんだなとも思う。おそろしや。人間は簡単に楽な方に流れるしマヌケになる。だらだらするのが好きとか、頑張りたくないとか、それを本心から言えるならもちろんそれで良いんだけど私はそうはなれなかったから。頭痛いな〜と思いながらとりあえず出勤する。ダメなら半日で帰る。ハナから投げるというのをしない。それだけで、何かに対する罪悪感がだいぶ減った。これは「耐えるのが美徳」とかそういうのではなくって、「なるべく投げない」ことの満足感に対する気付きの話。

もう26なのに未だにそういうことで「なるほどね?」と思ったりしてしまう。社会人で言ったら4年目のはずなのに!!


ただ、結構疲れているのは事実だから来月あたり連休を作ろうと思う。有給をくっつけてさ。前もって「ここ休むんで」といって手に入れる休みと当日に「行けません」で手に入れてしまう休みの差よ、気持ちのよい1日としたい。


あと最近思ってるのは、「ひとの好きなものを好きになるにもエネルギーがいる」ということ。職場でBTSがめちゃ好きな人がいて、私は一応メンバーのお顔と曲が少しわかる程度なんだけど、私と同じくらいの理解度だった先輩が「えーそんなにあなたが言うなら調べてみるよ!」と言って見事にハマり、こないだ例のガムを大量に買うとこまで行っていた。めちゃくちゃ楽しそうである。相手の好きなもののことをもっと知りたいって思えるってめちゃくちゃ元気で素直で素敵なことだ。素体のポテンシャルもあるんだろうけど...。私も楽しそうなことにフットワーク軽く飛び込んでいきたい。さっさと体調戻して健康になるぞ。

好きなもの派生でひとつ、私の好きなゲームにTwitterのお友達がげきハマりしてくれてめちゃくちゃ嬉しいのと楽しいのとで毎日にこにこしながらタイムラインを眺めている。自分の「これ好きなの!!」に誰かが共感してくれたり理解してくれたりするのってすごく嬉しいね、ひとりでコソコソ楽しんできたから毎度「クゥ〜ッ!!」となっている。

アイドルマスターシャイニーカラーズはね...良いんですよ...推し(とか好きなもの)についての話もブログに書きたいなあと思うのに、思うだけで終わっている。こういうのもやめたいなあ。書き出したらズルズル出てくるのにね。ハリーポッターダンブルドアが頭に杖つけてなんか白いのズルズル引き出して水に浮かべるシーンあるじゃん、もうほんとあれになる。糸は切れないけど...綿菓子みたいにくるくる巻かないと多分終わらないけど...だからかなあ。長くなるってわかるし掘って掘って掘った先に何があるのか分からないし怖いのかもしれない。ホホホ。


バファリンが効いてきたから午後もやれそう、今日もさっさと終わらせて定時で帰るぞ!